ステーブルコインと国債と銀行の未来
ステーブルコインが米国債を大量に保有し、銀行の預金ビジネスを脅かしている。この構造を理解すると、金融システムの未来が見えてくる。
関連概念
- ステーブルコイン - 法定通貨との価値連動を目指す暗号資産
- 米国債 - ステーブルコインの裏付け資産
- 利ざや - 銀行の収益源
- 信用創造 - 銀行が行う貨幣供給
- 取り付け騒ぎ - 銀行の流動性リスク
- 預金保険制度 - 預金者保護の仕組み
- 最後の貸し手 - 中央銀行の危機対応機能
- カストディ - 資産保管サービス
- トークン化 - 実世界資産のブロックチェーン化
- 資本流出 - 新興国からの資金流出リスク
- 金融包摂 - 金融サービスへのアクセス拡大
- MMF - マネーマーケットファンド
- 準備金 - 銀行が保持する資金
- リレーションシップバンキング - 長期的関係構築型の銀行業務
- VASP - 暗号資産サービスプロバイダー
ステーブルコインは国債の巨大な買い手になった
2025年現在、主要ステーブルコイン発行体の米国債保有額は驚くべき規模に達している。
- Tether(USDT): 1,350億ドル — 韓国やUAEを超え、世界17位の米国債保有者
- Circle(USDC): 450〜550億ドル
- 合計: 約1,300億ドル(米国債市場の約2.25%)
なぜこれほど国債を買うのか。答えは単純で、ステーブルコインの裏付け資産として最適だからである。
2025年7月に成立したGENIUS法(Guiding and Establishing National Innovation for U.S. Stablecoins Act)により、ステーブルコイン発行体は準備金として以下の資産を1:1で保有することが義務付けられた:
安全で流動性が高く、しかも金利が付く。発行体にとって国債は最良の選択肢なのである。
なぜステーブルコインは金利を還元しないのか
ここで疑問が生じる。Tetherは米国債で年間数十億ドルの利息を稼いでいるはずだ。なぜそれをユーザーに還元しないのか?
答え: 法律で禁止されているから。
GENIUS法は、ステーブルコイン発行体がホルダーに金利や利回りを支払うことを明確に禁止している。
理由は証券の定義にある。金利を支払った瞬間、そのステーブルコインは「支払い手段」ではなく「投資商品(証券)」として分類される。そうなるとSECの規制対象となり、ステーブルコインとしての利便性が失われる。
つまり、**「支払い手段として使いたいなら金利は諦めろ」**というトレードオフが法律で強制されているのである。
発行体のビジネスモデル
この構造は発行体にとって非常に美味しい。
Circleの2024年S-1ファイリングによると、収益の95〜99%が準備金からの利息収入だった。ユーザーから預かったお金を米国債で運用し、金利は全て自分のものにする。銀行と同じビジネスモデルだが、貸し倒れリスクがない分、さらに安全である。
銀行にとっての脅威
ここからが銀行にとって深刻な話になる。
現状の銀行ビジネスモデル
従来の銀行はフラクショナルリザーブ(部分準備制度)で稼いでいる:
この「預金金利と貸出金利の差」(利ざや)が銀行の収益源である。
ステーブルコインの脅威
米財務省の2025年4月のレポートによると、ステーブルコインは銀行から最大6.6兆ドルの預金を奪う可能性がある。
現時点ではステーブルコインは金利を払えないため、「利回りゼロの銀行預金」と同じ条件である。しかし、GENIUS法には抜け穴がある:
取引所(VASP)が「報酬」という形でユーザーに利回りを提供することは禁止されていない
つまり、発行体自身は金利を払えないが、取引所が間接的に金利相当のインセンティブを提供することは可能なのである。この抜け穴が本格的に活用されれば、銀行預金からステーブルコインへの大規模な資金移動が起きうる。
銀行のジレンマ
McKinseyはこれを「銀行のジレンマ」と呼んでいる:
- ステーブルコインを発行しない → 預金を失う
- ステーブルコインを発行する → 100%準備金が必要で、フラクショナルリザーブ貸出ができない
どちらを選んでも、従来の利ざやビジネスは縮小する。
銀行の生存戦略
では銀行はどう対応しているのか。
1. 自らステーブルコインを発行する
- JPMorgan: JPM Coinで法人顧客向け24/7送金を提供
- SoFi: 公開ブロックチェーン上で初の銀行発行ステーブルコイン(SoFiUSD)
- 複数の米銀行: 共同ステーブルコイン発行を検討中
2. トークン化・カストディサービスに注力
トークン化とカストディは、銀行が利ざや以外で稼げる新たな手数料ビジネスとなる。
3. 預金以外の収益源を強化
ステーブルコインに預金を奪われても、以下の領域では銀行の優位性が残る:
- 住宅ローンなど複雑な審査が必要な貸出
- 法人向けのリレーションシップバンキング
- 規制対応・コンプライアンスサービス
エンドユーザーにとってのメリットは何か
ここで素朴な疑問が生じる。金利がもらえないなら、銀行預金の方がマシではないか?
確かに、単純な「貯蓄手段」としてはその通りである。しかしステーブルコインの本質的な価値は貯蓄ではなく、送金・決済の利便性にある。
国際送金の革命
従来の銀行による国際送金:
- 着金まで2〜5営業日
- 手数料数千円〜数万円(中継銀行手数料含む)
- 営業時間・休日の制限あり
ステーブルコインによる送金:
- 着金まで数分〜数十分
- 手数料数十円〜数百円
- 24時間365日即時決済
特に企業間のクロスボーダー取引では、この差は大きい。三菱商事がProject Paxの最初の大口ユーザーになるのも、200以上の海外子会社との決済効率化が目的である。
誰にとってメリットがあるのか
正直に言えば、日本に住む普通の個人にとってステーブルコインのメリットは限定的である:
- 円は安定しており、インフレヘッジの必要性が低い
- 国内送金は銀行でも十分便利(モアタイムシステムで24時間対応も進んでいる)
- 預金保険制度で1000万円まで保護される
- DeFiは難しく、リスクも高い
一方、以下のユーザーにとっては大きなメリットがある:
| ユーザー層 | メリット |
|---|---|
| 新興国の個人 | 自国通貨のインフレヘッジ、銀行口座なしでも利用可能(金融包摂) |
| 国際取引が多い企業 | 送金コスト削減、決済の即時化、24時間対応 |
| 海外在住者・出稼ぎ労働者 | 母国への送金手数料の大幅削減 |
| Web3/DeFiユーザー | DeFiプロトコルでの運用、NFT購入などの決済手段 |
つまり、ステーブルコインは「国境を越える価値の移動」において真価を発揮する。日本国内で円を持っているだけなら、銀行預金で十分なのである。
リスクと信頼構造
ハッキングリスクは?
2018年のCoincheck事件(NEM約580億円流出)を思い出す人も多いだろう。あれは**取引所のカストディ(保管)**がハッキングされたケースであり、ステーブルコイン自体の問題ではない。
ステーブルコインには**自己保管(セルフカストディ)**という選択肢がある:
| 保管方法 | メリット | リスク |
|---|---|---|
| 取引所保管 | 便利、紛失リスクなし | ハッキング、取引所破綻 |
| 自己保管 | 取引所リスク回避、検閲耐性 | 秘密鍵紛失で全額喪失 |
「Not your keys, not your coins」(秘密鍵を持たなければ、本当の所有者ではない)という格言がある。自己保管すればCoincheck的なハッキングリスクは回避できるが、秘密鍵を紛失したら誰も助けてくれない。
発行体への依存は残る
自己保管しても、発行体への依存は残る:
- 発行体が破綻したら償還できない
- 発行体がブラックリストに載せたら凍結される(Tetherは実際に制裁対象アドレスを凍結している)
- 裏付け資産が本当にあるか(Tetherは長年疑惑があった)
- 預金保険制度の対象外
結局、「誰を信頼するか」が銀行から発行体に移っただけとも言える。
銀行との違い
ただし、銀行預金との違いもある:
- 保管方法を選べる(自己保管 or 取引所)
- 複数の発行体に分散できる(USDT、USDC、JPYCなど)
- 透明性が高い(ブロックチェーン上で流通量は確認可能)
- 検閲耐性(自己保管なら政府による凍結は技術的に困難)
完全な「トラストレス」ではないが、「信頼先を選べる・分散できる」という点で銀行預金より柔軟性がある。
発行主体の将来:政府が発行する可能性
CBDC(中央銀行デジタル通貨)という選択肢
「発行体リスクが嫌なら、政府が発行すればいいのでは?」という発想は自然だ。それが**CBDC(Central Bank Digital Currency)**である。
各国の動向:
| 国・地域 | 状況 |
|---|---|
| 中国 | デジタル人民元を大規模実験中、最も進んでいる |
| EU | 2025年10月、デジタルユーロの発行意思を表明 |
| 日本 | 2025年5月に第2次中間整理を公表、「二層構造」(日銀→民間仲介機関→利用者)を検討中。ただし発行の意思決定はまだ |
| 米国 | トランプ大統領が2025年1月にCBDC禁止の大統領令を発令。代わりにステーブルコイン推進 |
日本の「デジタル円」は、日銀が直接発行するのではなく、民間銀行が仲介する「間接型」が想定されている。つまり、銀行の役割は残る設計だ。
CBDCとステーブルコインの違い
| CBDC | ステーブルコイン | |
|---|---|---|
| 発行体 | 中央銀行(政府) | 民間企業 |
| 信用リスク | 国家の信用 | 発行体の信用 |
| プライバシー | 政府が取引を把握可能 | 発行体・取引所次第 |
| 検閲耐性 | 低い(政府が凍結可能) | 自己保管なら高い |
CBDCは「発行体リスク」を解消するが、プライバシーと検閲耐性を犠牲にする。政府がすべての取引を把握できる世界を望むかどうかは、価値観の問題である。
金利還元ルールは変わるのか
銀行保護のためのルール?
金利還元の禁止は、建前上は「証券の定義に該当させないため」だが、実質的には銀行保護のルールと見ることもできる。
もしステーブルコインが国債金利(4%程度)を還元できたら:
- 銀行預金(金利0.01%)から大規模な資金流出
- 銀行のフラクショナルリザーブモデルが崩壊
- 信用創造が縮小し、経済全体に影響
銀行業界はこれを強く警戒している。
米国での銀行ロビー活動
米国では、アメリカ銀行協会(ABA)と52州の銀行協会が連名で議会に書簡を送り、GENIUS法の「抜け穴」(取引所が報酬として金利を還元できる)を塞ぐよう要請している。
銀行側の主張:
「預金流出リスクが高まり、信用創造が縮小する。結果として金利上昇、ローン減少、メインストリートの企業と家計のコスト増加につながる」
将来の展望
一方で、Coinbase CEOのブライアン・アームストロングは興味深い予測をしている:
「数年後には、銀行自身がステーブルコインで金利を支払えるようロビー活動するようになるだろう」
つまり、銀行がステーブルコインを発行する側に回れば、金利還元を求める立場に変わる可能性がある。日本のメガバンク3行がProject Paxでステーブルコイン発行に乗り出しているのも、この文脈で理解できる。
金利還元ルールは、銀行とフィンテック/暗号資産業界の力関係によって変わりうる。現時点では銀行のロビー力が強いが、ステーブルコイン市場が拡大し、銀行自身が発行者になれば、ルールの方向性も変わるかもしれない。
新興国への影響
興味深いのは、この変化が先進国より新興国に大きな影響を与える可能性があることだ。
Standard Charteredの2025年4月レポートによると、現在のステーブルコイン供給量の約2/3は、新興国で貯蓄手段として使われている。
エジプト、パキスタン、コロンビア、バングラデシュ、スリランカなどの国々では、自国通貨の不安定さからドル建てステーブルコインが事実上の「デジタルドル預金」として機能している(金融包摂)。もし金利付きステーブルコインが普及すれば、これらの国から急速な資本流出が起きる可能性がある。
日本の動向
日本は米国に先駆けてステーブルコインの法整備を進めてきた。
改正資金決済法(2023年・2025年)
2023年6月施行の改正資金決済法により、日本ではステーブルコインの発行・流通が法的に認められた。特徴は以下の通り:
- 発行者の限定: 銀行、資金移動業者、信託会社のみが発行可能
- 100%裏付け義務: 銀行預金または国債などの流動資産で全額裏付け
- 月次監査: 第三者による月次監査が義務付け
2025年6月には追加の改正が成立し、信託型ステーブルコインの裏付資産運用の柔軟化などが行われた。
円建てステーブルコインの登場
JPYC(日本円ステーブルコイン)は、2025年8月に資金移動業者として登録され、同年10月から日本円と1:1で交換可能な円建てステーブルコインの発行・償還を開始した。国内初の規制準拠ステーブルコインである。
また、2025年3月にはSBI VCトレードが電子決済手段等取引業者の登録を完了し、国内で初めてUSDCの取扱いを開始している。
三大メガバンクの共同プロジェクト(Project Pax)
日本の銀行は、米国の銀行とは異なるアプローチを取っている。
三菱UFJ銀行(MUFG)、三井住友銀行(SMBC)、みずほ銀行の3行は、共同で円建てステーブルコインを発行する「Project Pax」を進めている。2025年11月には金融庁から「決済イノベーションプロジェクト(PIP)」として認定を受けた。
技術基盤はMUFGのProgmat Coinプラットフォームで、Ethereum、Polygon、Avalanche、Cosmosなど複数のパブリックブロックチェーン上で発行可能。2025年末の発行開始を目指しており、2026年後半には米ドル連動版も計画されている。
最初の大口ユーザーは三菱商事で、200以上の子会社間の内部決済や国際送金に活用する予定だ。
日本でも金利還元はできないのか?
米国ではGENIUS法で金利還元が明文で禁止されている。では日本はどうか。
結論から言うと、日本には明文の禁止規定はないが、実質的には還元できない構造になっている。
| 米国(GENIUS法) | 日本(資金決済法) | |
|---|---|---|
| 金利還元 | 明文で禁止 | 明文規定なし |
| 禁止の理由 | 証券の定義該当を避けるため | 同様の理由で実質不可 |
日本で金利を還元すると以下の問題が生じる:
- 有価証券該当性: 金利を払うと「投資商品」の性質を帯び、電子決済手段の定義から外れる可能性がある。金融商品取引法の規制対象になってしまう
- 出資法の問題: 銀行免許なしに不特定多数から資金を集めて利息を払う行為は、出資法で規制されている
- 裏付け資産の運用益: 2025年改正で裏付け資産の50%まで国債で運用可能になったが、その運用益を還元する仕組みは整備されていない
つまり、日本でも米国でも「決済手段として扱うなら金利は諦めろ」という構造は同じである。発行体(日本ではメガバンク)が国債の運用益を独占するビジネスモデルも変わらない。
日本固有の課題
上記に加え、日本のステーブルコインには以下の課題もある:
- 送金上限: JPYCは第二種資金移動業のため、1回あたり100万円が上限。企業間決済での利用には第一種資金移動業(上限なし)の認可が必要
- 円建ての限界: 円建てステーブルコインは国際決済での利便性が限定的。ドル建てステーブルコインとの競争力に課題
- 税制: 暗号資産の税制(雑所得、最大55%)がステーブルコイン利用の障壁になる可能性
とはいえ、メガバンク3行が共同でステーブルコインを発行するという動きは、銀行がステーブルコインを「脅威」ではなく「機会」として捉え始めたことを示している。米国の銀行が「ジレンマ」に悩む中、日本の銀行は先手を打って主導権を握ろうとしている。
結論:金融システムの再編
ステーブルコインは単なる「暗号通貨の一種」ではない。それは銀行システムの根幹である預金ビジネスへの挑戦である。
今後の展望:
- ステーブルコイン市場は2028年までに5,000億〜2兆ドル規模に成長する見込み
- 銀行は「預金を集めて貸し出す」(利ざや・信用創造)モデルから、「サービス手数料で稼ぐ」(カストディ・トークン化・リレーションシップバンキング)モデルへの転換を迫られる
- 新興国では、ステーブルコインが事実上の「民間発行デジタルドル」として金融包摂を進める一方、資本流出リスクも高まる
税の支払いにステーブルコインが使えるようになれば、それは租税貨幣論の観点から「真の通貨」としての地位を獲得することを意味する。その時、銀行と国家の関係も大きく変わるだろう。
抽出された概念
この記事から以下の一般概念をnotes/に抽出した:
既存ノートでカバーされている概念:
参考
- Stablecoin Giant Tether Now Holds More US Treasuries Than South Korea and UAE
- The GENIUS Act of 2025 | Latham & Watkins
- Banks in the Age of Stablecoins | Federal Reserve
- Stablecoins for Banks: Strategic Playbook 2025
- The rise of stablecoins and implications for Treasury markets | Brookings
- 2025年改正資金決済法の概要と実務対応 | BUSINESS LAWYERS
- 米国で進むステーブルコインの規制整備:日本では初の円建てステーブルコインが発行へ | 野村総研
- Japan's Three Largest Banks Team Up to Issue Yen-Pegged Stablecoin | Yellow.com
- Japan's FSA to Support Country's 3 Largest Banks in Stablecoin Issuance | CoinDesk
- 中央銀行デジタル通貨 | 日本銀行
- 中央銀行デジタル通貨「CBDC」、日本での導入は進むのか | 野村総研
- ABA, 52 State Bankers Associations Urge Congress to Close Stablecoin Interest Loophole
- Closing the Payment of Interest Loophole for Stablecoins | Bank Policy Institute