ステーブルコインと国債と銀行の未来

ステーブルコイン米国債を大量に保有し、銀行の預金ビジネスを脅かしている。この構造を理解すると、金融システムの未来が見えてくる。

関連概念

ステーブルコインは国債の巨大な買い手になった

2025年現在、主要ステーブルコイン発行体の米国債保有額は驚くべき規模に達している。

なぜこれほど国債を買うのか。答えは単純で、ステーブルコインの裏付け資産として最適だからである。

2025年7月に成立したGENIUS法(Guiding and Establishing National Innovation for U.S. Stablecoins Act)により、ステーブルコイン発行体は準備金として以下の資産を1:1で保有することが義務付けられた:

安全で流動性が高く、しかも金利が付く。発行体にとって国債は最良の選択肢なのである。

なぜステーブルコインは金利を還元しないのか

ここで疑問が生じる。Tetherは米国債で年間数十億ドルの利息を稼いでいるはずだ。なぜそれをユーザーに還元しないのか?

答え: 法律で禁止されているから。

GENIUS法は、ステーブルコイン発行体がホルダーに金利や利回りを支払うことを明確に禁止している。

理由は証券の定義にある。金利を支払った瞬間、そのステーブルコインは「支払い手段」ではなく「投資商品(証券)」として分類される。そうなるとSECの規制対象となり、ステーブルコインとしての利便性が失われる。

つまり、**「支払い手段として使いたいなら金利は諦めろ」**というトレードオフが法律で強制されているのである。

発行体のビジネスモデル

この構造は発行体にとって非常に美味しい。

Circleの2024年S-1ファイリングによると、収益の95〜99%が準備金からの利息収入だった。ユーザーから預かったお金を米国債で運用し、金利は全て自分のものにする。銀行と同じビジネスモデルだが、貸し倒れリスクがない分、さらに安全である。

銀行にとっての脅威

ここからが銀行にとって深刻な話になる。

現状の銀行ビジネスモデル

従来の銀行はフラクショナルリザーブ(部分準備制度)で稼いでいる:

  1. 預金者から100万ドル預かる
  2. そのうち10万ドルだけ準備金として保持
  3. 残り90万ドルを貸し出して金利を稼ぐ(信用創造
  4. 預金者には0.01%程度の金利を払う

この「預金金利と貸出金利の差」(利ざや)が銀行の収益源である。

ステーブルコインの脅威

米財務省の2025年4月のレポートによると、ステーブルコインは銀行から最大6.6兆ドルの預金を奪う可能性がある

現時点ではステーブルコインは金利を払えないため、「利回りゼロの銀行預金」と同じ条件である。しかし、GENIUS法には抜け穴がある:

取引所(VASP)が「報酬」という形でユーザーに利回りを提供することは禁止されていない

つまり、発行体自身は金利を払えないが、取引所が間接的に金利相当のインセンティブを提供することは可能なのである。この抜け穴が本格的に活用されれば、銀行預金からステーブルコインへの大規模な資金移動が起きうる。

銀行のジレンマ

McKinseyはこれを「銀行のジレンマ」と呼んでいる:

どちらを選んでも、従来の利ざやビジネスは縮小する。

銀行の生存戦略

では銀行はどう対応しているのか。

1. 自らステーブルコインを発行する

2. トークン化・カストディサービスに注力

トークン化カストディは、銀行が利ざや以外で稼げる新たな手数料ビジネスとなる。

3. 預金以外の収益源を強化

ステーブルコインに預金を奪われても、以下の領域では銀行の優位性が残る:

エンドユーザーにとってのメリットは何か

ここで素朴な疑問が生じる。金利がもらえないなら、銀行預金の方がマシではないか?

確かに、単純な「貯蓄手段」としてはその通りである。しかしステーブルコインの本質的な価値は貯蓄ではなく、送金・決済の利便性にある。

国際送金の革命

従来の銀行による国際送金:

ステーブルコインによる送金:

特に企業間のクロスボーダー取引では、この差は大きい。三菱商事がProject Paxの最初の大口ユーザーになるのも、200以上の海外子会社との決済効率化が目的である。

誰にとってメリットがあるのか

正直に言えば、日本に住む普通の個人にとってステーブルコインのメリットは限定的である:

一方、以下のユーザーにとっては大きなメリットがある:

ユーザー層 メリット
新興国の個人 自国通貨のインフレヘッジ、銀行口座なしでも利用可能(金融包摂
国際取引が多い企業 送金コスト削減、決済の即時化、24時間対応
海外在住者・出稼ぎ労働者 母国への送金手数料の大幅削減
Web3/DeFiユーザー DeFiプロトコルでの運用、NFT購入などの決済手段

つまり、ステーブルコインは「国境を越える価値の移動」において真価を発揮する。日本国内で円を持っているだけなら、銀行預金で十分なのである。

リスクと信頼構造

ハッキングリスクは?

2018年のCoincheck事件(NEM約580億円流出)を思い出す人も多いだろう。あれは**取引所のカストディ(保管)**がハッキングされたケースであり、ステーブルコイン自体の問題ではない。

ステーブルコインには**自己保管(セルフカストディ)**という選択肢がある:

保管方法 メリット リスク
取引所保管 便利、紛失リスクなし ハッキング、取引所破綻
自己保管 取引所リスク回避、検閲耐性 秘密鍵紛失で全額喪失

「Not your keys, not your coins」(秘密鍵を持たなければ、本当の所有者ではない)という格言がある。自己保管すればCoincheck的なハッキングリスクは回避できるが、秘密鍵を紛失したら誰も助けてくれない。

発行体への依存は残る

自己保管しても、発行体への依存は残る

結局、「誰を信頼するか」が銀行から発行体に移っただけとも言える。

銀行との違い

ただし、銀行預金との違いもある:

完全な「トラストレス」ではないが、「信頼先を選べる・分散できる」という点で銀行預金より柔軟性がある。

発行主体の将来:政府が発行する可能性

CBDC(中央銀行デジタル通貨)という選択肢

「発行体リスクが嫌なら、政府が発行すればいいのでは?」という発想は自然だ。それが**CBDC(Central Bank Digital Currency)**である。

各国の動向:

国・地域 状況
中国 デジタル人民元を大規模実験中、最も進んでいる
EU 2025年10月、デジタルユーロの発行意思を表明
日本 2025年5月に第2次中間整理を公表、「二層構造」(日銀→民間仲介機関→利用者)を検討中。ただし発行の意思決定はまだ
米国 トランプ大統領が2025年1月にCBDC禁止の大統領令を発令。代わりにステーブルコイン推進

日本の「デジタル円」は、日銀が直接発行するのではなく、民間銀行が仲介する「間接型」が想定されている。つまり、銀行の役割は残る設計だ。

CBDCとステーブルコインの違い

CBDC ステーブルコイン
発行体 中央銀行(政府) 民間企業
信用リスク 国家の信用 発行体の信用
プライバシー 政府が取引を把握可能 発行体・取引所次第
検閲耐性 低い(政府が凍結可能) 自己保管なら高い

CBDCは「発行体リスク」を解消するが、プライバシーと検閲耐性を犠牲にする。政府がすべての取引を把握できる世界を望むかどうかは、価値観の問題である。

金利還元ルールは変わるのか

銀行保護のためのルール?

金利還元の禁止は、建前上は「証券の定義に該当させないため」だが、実質的には銀行保護のルールと見ることもできる。

もしステーブルコインが国債金利(4%程度)を還元できたら:

銀行業界はこれを強く警戒している。

米国での銀行ロビー活動

米国では、アメリカ銀行協会(ABA)と52州の銀行協会が連名で議会に書簡を送り、GENIUS法の「抜け穴」(取引所が報酬として金利を還元できる)を塞ぐよう要請している。

銀行側の主張:

「預金流出リスクが高まり、信用創造が縮小する。結果として金利上昇、ローン減少、メインストリートの企業と家計のコスト増加につながる」

将来の展望

一方で、Coinbase CEOのブライアン・アームストロングは興味深い予測をしている:

「数年後には、銀行自身がステーブルコインで金利を支払えるようロビー活動するようになるだろう」

つまり、銀行がステーブルコインを発行する側に回れば、金利還元を求める立場に変わる可能性がある。日本のメガバンク3行がProject Paxでステーブルコイン発行に乗り出しているのも、この文脈で理解できる。

金利還元ルールは、銀行とフィンテック/暗号資産業界の力関係によって変わりうる。現時点では銀行のロビー力が強いが、ステーブルコイン市場が拡大し、銀行自身が発行者になれば、ルールの方向性も変わるかもしれない。

新興国への影響

興味深いのは、この変化が先進国より新興国に大きな影響を与える可能性があることだ。

Standard Charteredの2025年4月レポートによると、現在のステーブルコイン供給量の約2/3は、新興国で貯蓄手段として使われている

エジプト、パキスタン、コロンビア、バングラデシュ、スリランカなどの国々では、自国通貨の不安定さからドル建てステーブルコインが事実上の「デジタルドル預金」として機能している(金融包摂)。もし金利付きステーブルコインが普及すれば、これらの国から急速な資本流出が起きる可能性がある。

日本の動向

日本は米国に先駆けてステーブルコインの法整備を進めてきた。

改正資金決済法(2023年・2025年)

2023年6月施行の改正資金決済法により、日本ではステーブルコインの発行・流通が法的に認められた。特徴は以下の通り:

2025年6月には追加の改正が成立し、信託型ステーブルコインの裏付資産運用の柔軟化などが行われた。

円建てステーブルコインの登場

JPYC(日本円ステーブルコイン)は、2025年8月に資金移動業者として登録され、同年10月から日本円と1:1で交換可能な円建てステーブルコインの発行・償還を開始した。国内初の規制準拠ステーブルコインである。

また、2025年3月にはSBI VCトレードが電子決済手段等取引業者の登録を完了し、国内で初めてUSDCの取扱いを開始している。

三大メガバンクの共同プロジェクト(Project Pax)

日本の銀行は、米国の銀行とは異なるアプローチを取っている。

三菱UFJ銀行(MUFG)、三井住友銀行(SMBC)、みずほ銀行の3行は、共同で円建てステーブルコインを発行する「Project Pax」を進めている。2025年11月には金融庁から「決済イノベーションプロジェクト(PIP)」として認定を受けた。

技術基盤はMUFGのProgmat Coinプラットフォームで、Ethereum、Polygon、Avalanche、Cosmosなど複数のパブリックブロックチェーン上で発行可能。2025年末の発行開始を目指しており、2026年後半には米ドル連動版も計画されている。

最初の大口ユーザーは三菱商事で、200以上の子会社間の内部決済や国際送金に活用する予定だ。

日本でも金利還元はできないのか?

米国ではGENIUS法で金利還元が明文で禁止されている。では日本はどうか。

結論から言うと、日本には明文の禁止規定はないが、実質的には還元できない構造になっている。

米国(GENIUS法) 日本(資金決済法)
金利還元 明文で禁止 明文規定なし
禁止の理由 証券の定義該当を避けるため 同様の理由で実質不可

日本で金利を還元すると以下の問題が生じる:

  1. 有価証券該当性: 金利を払うと「投資商品」の性質を帯び、電子決済手段の定義から外れる可能性がある。金融商品取引法の規制対象になってしまう
  2. 出資法の問題: 銀行免許なしに不特定多数から資金を集めて利息を払う行為は、出資法で規制されている
  3. 裏付け資産の運用益: 2025年改正で裏付け資産の50%まで国債で運用可能になったが、その運用益を還元する仕組みは整備されていない

つまり、日本でも米国でも「決済手段として扱うなら金利は諦めろ」という構造は同じである。発行体(日本ではメガバンク)が国債の運用益を独占するビジネスモデルも変わらない。

日本固有の課題

上記に加え、日本のステーブルコインには以下の課題もある:

  1. 送金上限: JPYCは第二種資金移動業のため、1回あたり100万円が上限。企業間決済での利用には第一種資金移動業(上限なし)の認可が必要
  2. 円建ての限界: 円建てステーブルコインは国際決済での利便性が限定的。ドル建てステーブルコインとの競争力に課題
  3. 税制: 暗号資産の税制(雑所得、最大55%)がステーブルコイン利用の障壁になる可能性

とはいえ、メガバンク3行が共同でステーブルコインを発行するという動きは、銀行がステーブルコインを「脅威」ではなく「機会」として捉え始めたことを示している。米国の銀行が「ジレンマ」に悩む中、日本の銀行は先手を打って主導権を握ろうとしている。

結論:金融システムの再編

ステーブルコインは単なる「暗号通貨の一種」ではない。それは銀行システムの根幹である預金ビジネスへの挑戦である。

今後の展望:

税の支払いにステーブルコインが使えるようになれば、それは租税貨幣論の観点から「真の通貨」としての地位を獲得することを意味する。その時、銀行と国家の関係も大きく変わるだろう。


抽出された概念

この記事から以下の一般概念をnotes/に抽出した:

既存ノートでカバーされている概念:

参考